[武蔵一族の歴史]
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武蔵一族は、宇宙に存在するありとあらゆる事象が、根源である一つのものが変化することにより起こる現象であると考えています。
その一つのものが「空(くう)」です。 この「空」の体現こそが一族の理念となります。
我が一族は、戦国、江戸時代から続く侍や忍者の歴史から学び、伝統文化を修得すること、その中でも特に武芸の修練を行うことによって「空」を体得できることを悟りました。
「武」とは、一般的に争う技術のことを指します。 この争いの技術は、やがて「和」へと繋がります。 「争い」と「和」は相反して相容れない概念であり、これらが両立する事は無いと思われるため、そこに矛盾が生じるように感じるでしょう。 しかし、対立する異なった心の波長が同じ波長になれば、対立はなくなり、波長は和合へと導かれるのです。
自と他の波長の和合こそが、その矛盾を解く鍵、『共鳴』です。
共鳴を起こす為の方法は、自らが心を静めた水面の様になることです。自らが、相手方の出す波長を水面に伝わる波紋と捉えることができれば、対立でない和合となります。
「武」は心の読み合いで相手の波長を感じ、その波長を操作して、相手とのバランスを乱すように意図します。その原理を会得すれば、逆に相手に波長を合わせることによって共鳴することが可能となるのです。
さらに、心を磨くことで、自己を表す水は濁りの無い「水鏡」となり、全ての物を映し出します。 鏡は、映すものを区別せず、全てを受け入れるため、そこに対立の概念はありません。このため、万物の根源である「一」と同等であるということができます。
あらゆる活動の中で共鳴を追求し、他と心が一つになり、無我の境地に到達した時の状態が、共鳴水鏡です。この心の水鏡こそが「空」であり、一族の目指すものです。
「空」へのアプローチ方法は様々あり、「武」は一つの方法にすぎません。 空へ近づく鍵となる共鳴は、舞踊や音曲などの演者と観客との間にも存在し、また、心の水鏡は書道、茶道などの心の在り方と共通する部分があるものと感じています。
そこで、一族は天賦の才能を活かし、伝統文化の様々な分野で「空」を追求し、補い合い、支援する事で連携体制をとりながら活動しています。
                              芸とは相手の心を揺さぶる事だと思います。
武も「武芸」と言う事があります。 これは武を表現した時に観ている者の心を揺さぶる事が出来るから 「芸」の表現を使うのでしょう。
演武を行うことについて、人それぞれの考え方があります。 「見世物ではない」の意見も当然あります。
私どもは演武はたまには必要であると考えています。 理由は演武で武を表現した時に、観ている者の魂を揺さぶれる事が 出来れば上達の近道になるからです。
戦う事と全く無関係のようですが、心を揺さぶるとは、相手の心に 介入している事になります。 心の駆け引きは勝負を左右し、心に介入できれば有利になります。 心の形を知り、静める事で平らにし、さらに磨きをかけます。 そうすると心は鏡のように全てのものが映し出すことが出来ます。
さらに、介入し心が共鳴する事は敵を作らない事につながります。 ここから武術と武道の違いが始まると考えています。
ー族は武の技術を学び、次に心の共鳴を知り、さらに一になる事を 目標にします。
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